藤島社と洩矢神社 神話の時代
諏訪明神入諏伝説の地として、藤島社があります。
諏訪の神様 建御名方神は、勅命によって現在の新潟県糸魚川辺りから、
諏訪湖がある諏訪の地域へ進行していきます。
なぜ諏訪に攻め入ってきたのかは分かっていませんが、
縄文時代から黒曜石が産出しており 矢じりなどの武器として珍重されていました。
またミシャクジ様のお祭りをする権限を持っていたのが当地の洩矢神で、
長野県だけではなく関西から関東の一円に信仰のあったミシャクジ様でしたから
それの地域一帯を治めたい朝廷の意向もあったのかもしれませんね。
塩尻近辺から洩矢神社の辺りまで攻め入ってきた建御名方神ですが、
洩矢神の抵抗にあいます。 洩矢神も戦上手だったのか、
一度撤退して現在の辰野町、塩尻にある小野神社まで撤退して、
お宮を創建することになります。
その後、再度対峙して 洩矢神は鉄器、建御名方神は藤のつるで戦ったとされています。
何故鉄器が負けたのかは謎ですが、
その後は平和的な交渉が行われて、
洩矢神は諏訪大社の神事を行う権利を持つ神長官になる代わりに
国譲りをすることになります。
また洩矢神は自分の娘を建御名方神の子供に嫁がせて強い同盟関係と言えば良いのか、
そのような関係になっていきます。現在その名残で岡谷市のインター側にある
出早雄小萩神社には、建御名方神と洩矢神の子供が夫婦となって祀られている神社もあります。
藤島社は 洩矢神社からも徒歩で行けますので
神話の時代に思いをはせるのも良いと思います
ただし現在の藤島社は道路拡張のため 以前は藤の多く茂る丘のような所に鎮座していましたが
現在は印刷会社の脇に鎮座する形になっています。
尚藤島社は 駐車場がございません
また洩矢神社も実は今の地ではなく
元洩矢と私たちが呼んでますが
この辺りが元々の地になっていると思われます
洩矢神社からの行き方
住所がございませんので動画を見ていただいて
そのまま行っていただいた方が良いと存じます。
追記
グーグルマップ上に
洩矢大神御舊趾碑 と最近記載されたようですがそこになります。